人との出会いが、夢を繋ぐ!自転車冒険家・小口良平さんの世界一周の旅


ある日の出来事を境に、ごく普通に生きていた大学生が「自転車での世界一周」という目標を掲げ、一念発起!


8年半もの歳月をかけ、自転車冒険家・小口良平さんが走破した15万5000km以上にも及ぶ道のり。その軌跡はまさに、世界中の友人たちが繋いでくれた夢への架け橋でした。



すべてのはじまりは、通りすがりのおばちゃんとの出会いから?

 提供 小口良平さん


―― 世界一周への旅に出るのは大変なことだと思うんです。一朝一夕で終わるならまだしも、長い間、生活のすべてを旅へ捧げるわけですから。普通の暮らしをしていたら実現することはまず難しい。しかも、移動手段が自転車となると、話を聞いているだけで気が遠のいてしまいそうです(笑)。小口さんはいつから、この途方もない夢を掲げるようになったのですか?


自分で言うのもなんですが、昔の僕は、夢も目標もない自己嫌悪の塊で……。大学の進学で上京してからも、やりたいことが何ひとつ見つからない日々が続いていました。ところが、大学の卒業を間近に迎え、「ああ、これからお金を返さなくちゃいけないんだ」と奨学金のことが頭をよぎりはじめて、これがひとつの転機になりました。


そんなある日、そこまで遠くはなさそうだし、箱根の温泉に行ってみたいと思ったんですね。サッカーをやっていて体力には自信があったから、近所で乗っていたママチャリで行ってみようと。



 出典  Funmee!!編集部


―― いえいえ、都内から箱根までだと相当な距離があるはずです(笑)。ママチャリだと、さすがにしんどそう。


甘くなかったというか、箱根は思っていた以上に遠くて。膝も痛くなってきたし、帰ろうと思いはじめて、途中コンビニの前で座り込んでしまいました。なんだか虚しい気持ちになって、ひとりで泣き崩れていたんです。そうしたら、通りすがりのおばちゃんがわざわざお茶を持ってきて、「汗と涙は人のために流すものだよ」と声をかけてくれて……。実はこの出来事が、僕を自転車での世界一周の旅へと誘うきっかけになったんですよ。



 提供 小口良平さん


―― おばちゃんの一声が8年半にも及ぶ世界一周へのきっかけになるとは……。人生って、何が起こるかわからないものですね(笑)。


多分、このおばちゃんは僕のことを哀れそうなヤツぐらいにしか思っていなかったんですが、彼女の何気ないやさしさに心が救われて……。その後、無事に箱根にも辿り着けて、この経験から諦めずにやり遂げることの大切さを知りました。


そしてこれがもし電車で箱根に向かっていたとしたら、おばちゃんとの出会いはなかったかもしれない。そう考えると、俄然自転車での旅に興味が湧いてきたんです



「必ずやり遂げる」という覚悟が、夢への第一歩を切り開く!

 提供 小口良平さん


ーー でも、さすがに世界一周となると話のスケールが違うというか。実現するためには何かかしらの犠牲が必要になると思うんです。


僕が思う、大きな旅に欠かせないものとは、お金・時間・覚悟。この3つが必要不可欠です。


今こうして、世界一周の夢を叶えるまでの間で一番辛かった時期を思い起こすと……。意外に思われるかもしれませんが、渡航資金として考えていた1千万円の貯金の目処が見えたサラリーマンの時代でした。この頃は仕事も順調で、冷静に考えると、旅に行かなくてもいいんじゃないかと思えてしまって(苦笑)。


誰かに強制されているわけでもないから、「このまま普通に暮らしていた方が幸せなんじゃないか?」とすごく葛藤しました。簡単に言ってしまえば、まだ覚悟が足りなかったんです……。



―― 確かに言われてみると、夢への第一歩を踏み出せるかどうかは、その覚悟があるかどうかで決まるのかもしれません。


ここで夢をあきらめてしまったら、自分はなにも変われない。そう思って、まずは心の中で退路を断ちました。



 提供 小口良平さん


―― そこから世界一周への前哨戦となる、2007年からの日本一周および台湾一周への旅がはじまったんですね。


その前に旅行で訪れたチベットでカルチャーショックを受けて、完全にスイッチが入りました。日本とのあまりの文化の違いから、「地球上に70億人もいれば、70億通りの生き方があるんじゃないか?」というような考えが芽生えたんです。そこから「自分だけの人生を過ごしてみたい」と思うようなって、8年半にも及ぶ世界一周への旅への舵を切ることができました。



 提供 小口良平さん


―― その後、小口さんは通算で157ヵ国を回ることになるわけですが、旅のプランはどのように計画していたのですか?


日本や台湾を回った後、ビザの関係や治安や環境、英語に慣れることを目的に、2009年にオーストラリアへ向かいました。ところが、あまりにも居心地が良かったことから、この1年間はたったの2カ国しか回れなかった(汗)。当時の自転車世界一周における訪問国の日本記録が117ヵ国だったので、このままのペースでいくと老人なってもその記録を塗り替えることができない……。そこから焦って、ニュージランドの3カ国を半年間、さらにインドネシアを皮切りにアジア圏をハイペースで回りました。


スケジュールの組み方は、基本的にビザの期限ありきです。各国を期間内に回らなければならなかったので、朝から日が落ちるまでひたすら自転車のペダルを漕ぐ。宿には泊まらずに、なるべく現地の人に声をかけて、家の敷地内でテントを張らせてもらう。そんな毎日の繰り返しでした。



 出典  Funmee!!編集部


―― 長い旅の間、危険な目に遭遇することはなかったんでしょうか?


交通事故で前歯を折ったり、強盗や追い剥ぎにも遭ったり……。テング熱やマラリアにかかったし、警察に賄賂を渡さないとビザが取得できない国もありましたが、無事に帰ることができました。その理由として、自転車の存在がとても大きかったと思います。自転車が御守りのような存在になってくれて、さまざまな場面でのコミュニケーションを助けてくれました。


旅に出る前まで、僕にとって自転車は、ただの移動するための乗り物でしかなかった。でも、旅が進むにつれ、世界一周の夢を支えてくれる何よりも大切な相棒になってくれました。世界一周を達成するまで約15万5000kmの距離を走り、結果的にゴールまで3台の自転車を乗り継ぐことになったんですが、パンクなどの多少の修理の問題は別にして、もし事故がなければ一台で走破できたと思っています。



世界中の人々に助けられて実現できた、世界一周の夢

 出典  Funmee!!編集部


―― 聞けば聞くほど、自転車が小口さんの旅へもたらした影響が大きかったことが伝わってきます。


自転車での旅は目標を設定しやすい。たとえば、地図上にある目的地の座標をひとつずつ繋いでいくことで達成感やモチベーションを保つことができました。ただ、あまり先のことばかり考えてもどうにもならないことが多かったので、ある時から「今日一日を精一杯、楽しもう!」という考えに切り替えたんです。


また、旅をしていく中で「百聞は一見に如かず」という言葉の意味をかみしめるような機会が多く、世間一般的に危険だと言われている国や地域でも、現地の人々に温かく迎え入れてもらったことが何度もありました。



 提供 小口良平さん


―― 自転車での世界一周もいよいよ終わりを迎えた時、心境に変化はありましたか?


最後に向かったのが、南北のアメリカ大陸でした。ゴールに設定していたニューヨークへの到着が見えはじめた頃には、この旅が無事に終わることをすでに実感していて、次の目標が頭に浮かんでいました。


これまでの経緯を振り返ると、僕にとっての世界一周とは、冒険ではなくて、あくまで旅だったんだなと。なぜなら、そこで得た感動の多くが、自分の限界への挑戦することよりも、人と人との出会いや温かな交流にあったのだと実感できたからです。


僕の自転車での世界一周の夢は、旅先で出会った人々の手助けがあってはじめて叶えることができました。その感謝の気持ちを込め、世界中の友人たちとの再会する日を願い、僕は新たな夢へ向かって走り出しています。



【最高の笑顔が繋ぐ!】自転車冒険家・小口良平さんの夢の続きと幸せのカタチ

■プロフィール

小口良平さん

1980年生まれ。長野県出身。大学在学中に自転車での世界一周への旅を計画。その後、サラリーマンとアルバイト生活を経て、2007年3月から自転車での旅を本格始動。20016年9月に最終目的地であるニューヨークに到着、同年10月に故郷の長野へ帰郷。現在は自転車旅の装備や心得などを学ぶ勉強会やツーリングイベントや講演会などの活動を行う。2017年5月17日(水)には、河出書房新社から著書「スマイル!~笑顔と出会った自転車地球一周 157カ国、155,502㎞」を発刊する予定。



===

文:戸叶庸之(Tsuneyuki Tokano)

写真:鳥居健次郎(Kenjiro Torii)

最新情報はこちらから フォローやいいね!をして最新情報を受け取ろう

Funmee!!編集部

Funmee!!編集部

TOP