掛川城/武将たちの覇権争いを見守った東海の要所(歴史編)
マニア
【空から城を見てみる!】︎

掛川城/武将たちの覇権争いを見守った東海の要所(歴史編)


その地に立ち、見上げるだけでも興奮する城の姿を、恐れ多くも空撮動画で空から眺めるワクワク体験、第2弾!


NHK大河ドラマ「功名が辻」でも名高い山内一豊が礎を築いた掛川城。歴史の表舞台にもたびたび登場した「東海の名城」を、いざ、見下ろさん!



今川氏滅亡の舞台となる

 出典  Funmee!!編集部
掛川城天守閣へと続くのは、細く折れ曲がった階段。これによって敵の侵入に備えました


もともと掛川城を築かせたのは、駿河・遠江・三河の広大な三国(いまの静岡全域と愛知の一部)を支配した今川氏。しかし桶狭間の戦いで名君・今川義元が織田信長に討たれると、その勢力は急速に弱まっていきます。


そして1568年、隣国の武田信玄と徳川家康の両英雄に攻め込まれた今川氏真(義元の子)が最後に立てこもったのが、掛川城でした。徳川軍に完全に包囲されつつも、堅い守りで半年近くも徹底抗戦。しかし、最終的に和議を結んで氏真は落ち延び、今川氏は事実上滅亡したのです。



山内一豊の掛川城が、関ヶ原合戦への流れを決めた!?

 出典  Funmee!!編集部
5万石の大名となった山内一豊は、長く続いた戦乱で傷んだ城や城下町の大改修を実施。一豊の手で天守閣が建てられ、近世城郭として生まれ変わりました


今川氏滅亡ののちしばらくは徳川家の城となりましたが、豊臣秀吉の天下統一後、関東に移封された家康に代わって城主となったのが山内一豊です。秀吉にかわいがられた一豊でしたが、徳川家に天下が移っても出世を続けます。そのきっかけも掛川城でした。


関ヶ原の合戦前、会津の上杉討伐に向かっていた家康。石田三成の挙兵を知り、今後の方針について武将たちの間で激論が交わされました。いわゆる「小山評定」です。


その席で一豊は掛川城を家康に明け渡し、西へと引き返す足がかりにすることを提案。その決意に打たれた諸将たちも家康に協力することを約束し、関ヶ原へと向かいました。こうして家康の信頼を勝ち取ったのです。


10年に渡り掛川の城主であった山内一豊。よほど愛着があったのか、その後に移封された土佐の高知城も、掛川城を手本に築いたと言われています。



いまでは「歴史を活かした街づくり」の中心に

 出典  Funmee!!編集部
城主が実際に暮らした二の丸御殿。木造平屋と瓦屋根が美しい


城主の住まいや式典などに使われた二の丸御殿は、江戸時代の建物がそのまま残る「城廓御殿」です。これは京都の二条城など国内に4カ所しか現存していない貴重な建物で、掛川城の御殿は国の重要文化財にも指定されています。


江戸時代後期に地震で倒壊した御殿は、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて城主太田資功によって再建され、いまに至ります。建物内を見学できるだけでなく、市の行事などでも利用され、市民にも親しまれています。



 出典  Funmee!!編集部
掛川城の直上から市街を一望する空中散策。山内一豊が築いたといわれる町割や、平成7年(1995年)に復元された大手門など重ねてきた歴史の足跡を見つけられます


今川が城を築き、徳川の支配ののち、街の基礎をつくった山内一豊へ。戦国時代が終わり、江戸時代も東海道の要所であり続けた掛川城と城下町。


歴史の息吹が色濃く残る街並みを活かし、現在、掛川市では歴史を活かした街づくりとして建造物の保存や周遊道の整備などを進めています。美しい天守閣はもちろん、二の丸御殿や大手門などの建物を見てから市街散策すれば、ひと味違った楽しみ方ができることでしょう。



原作司馬遼太郎、脚本大石静。仲間由紀恵が千代、上川隆也が山内一豊を演じ、2006年に放映された大河ドラマのDVD-BOXです。掛川城の城主だった武将・山内一豊と、その妻千代の物語。信長、秀吉、家康の時代を夫婦が手をとりあって、ついには藩主の地位へ登りつめます。


■プロフィール

掛川城


静岡県掛川市掛川1138-24

TEL:0537-22-1146(掛川城公園管理事務所)

入館料(天守閣・御殿):大人(高校生以上)410円、小中学生150円

開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)

休み:年中無休



■注記

関係各所への許可をとり、撮影しています。



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文:依田賢吾(Kengo Yoda)

撮影:山本大介(Daisuke Yamamoto)

撮影協力:ピークス 映像部

取材協力:掛川市、掛川城公園



マニア
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2018年6月5日
Funmee!!編集部
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