コレクター
#25 黒電話など670台! アンティーク電話機を集めて博物館を開いた男
【ポケットの中の博物館】︎

#25 黒電話など670台! アンティーク電話機を集めて博物館を開いた男


なぜ人は蒐集するのか。彼らのポケットの中を覗くことで、趣味を人生の中心に据えるに至った価値観をつまびらかにしよう。

 

黒電話とも呼ばれる固定電話のデザインに惹かれ、670台コレクションした人がいる。その歴史を研究しつつ、学芸員の資格を取得し、大阪市内にてれふぉん博物館(ミュージアム)を開設。幼少の頃、電話が嫌いだった人がなぜ電話機にハマったのか、その魅力を取材した。



歴代の国産電話機がずらり並ぶ博物館


その部屋は壁三面が電話機で埋もれていた。

 

赤電話、黄色電話など昔お世話になった公衆電話もあるが、その大半が映画やドラマでしか見たことがない黒電話だった。受信器と送信器が一体化する前の、送信器がマイクみたいだった頃の電話機もあれば、映画『となりのトトロ』に登場したような壁掛電話も並んでいる。



てれふぉん博物館の展示室。左側が私設用電話機、中央が加入者電話機、右側が公衆電話のコーナー
 出典  Funmee!!編集部
てれふぉん博物館の展示室。左側が私設用電話機、中央が加入者電話機、右側が公衆電話のコーナー


「トトロの舞台が昭和30年代前半だとすると、サツキが使った電話は時代的には23号自動式壁掛電話だと思うのですが、あの形からすると2号自動式壁掛電話機かもしれません」


稲谷秀行さんは30年以上電話機を蒐集し、現在670台所蔵する。そのうちの約140台を「てれふぉん博物館」に展示している。

 

かつてハンドルが付いた電話機が存在した。ハンドルを回して発電した電気で遠くにいる交換手を呼び出し、つないでもらっていた。明治36年(1903年)、電話局に大きな電池を設置したことでハンドル不要の、受話器を取るだけで交換手を呼び出せるグースネック共電式壁掛電話機が登場。交換手につないでもらったためダイヤルはなかった。交換手を介せず相手に電話をかけられる自動式電話機が導入されたのは、大正から昭和になる頃だ。



明治36年(1903年)に京都で受話器を取るだけで電話局を呼び出せる共電式交換が開始された。その前年、日本電気(現NEC)が製造した「グースネック共電式電話機」
 出典  Funmee!!編集部
明治36年(1903年)に京都で受話器を取るだけで電話局を呼び出せる共電式交換が開始された。その前年、日本電気(現NEC)が製造した「グースネック共電式電話機」


いまや固定電話を引かず、携帯電話だけの人が増えている。けれど固定電話しかない時代は、電話局から「加入者電話機」を借りるしかなかった。電話局は新しい電話機が出ると旧い機種を回収し、処分した。そのため旧い加入者電話機はほとんど残っていない。ただし、増設や構内電話は民間の工事会社に頼み、好みの「私設用電話機」を置くこともできた。

 

そうした電話機の歴史をひも解きながら、稲谷さんは加入者電話機や私設用電話機を蒐集してきた。そして2013年、大阪の実家の敷地内に、てれふぉん博物館を設立した。



固定電話の歴史を消したくない

蒐集のきっかけとなった「イ-661自動式卓上電話機」(昭和10年(1935年)沖電気製)。昭和初期に富士電機がドイツから輸入販売したシーメンスの自動式卓上電話機が人気を博したことから、対抗するために開発
 出典  Funmee!!編集部
蒐集のきっかけとなった「イ-661自動式卓上電話機」(昭和10年(1935年)沖電気製)。昭和初期に富士電機がドイツから輸入販売したシーメンスの自動式卓上電話機が人気を博したことから、対抗するために開発


稲谷さんが電話機に淫するようになったのは24歳の時、手にした雑誌に出ていた旧い電話機がきっかけだった。懐かしいデザインにひと目惚れ。その電話機を扱う札幌の骨董屋に連絡したが、既に売れ切れだった。

 

「都内の古道具屋で見つけましたが、雑誌に紹介されていたものとは別物の、3号式自動式卓上電話機でした。雑誌に出ていたイ-661自動式卓上電話機がどうしても欲しくてフリーマーケットで購入しました」

 

 

物欲に駆られて蒐集が始まった。そのためにも当時のメーカーカタログや資料が必須だった。日本電気や沖電気などが戦前発行したカタログの他、逓信省や電電公社などが出した資料を神保町の古本屋やネットで入手。旧いカタログをめくっていると見たことがない電話機ばかり。珍しいものを見つけた時の嬉しさで、さらに蒐集に火が付いた。



明治23年(1890年)に初めて電話交換事業が東京と横浜で開始された際採用された「ガワーベル電話機」。音が小さかったため、両耳に受話器を当てて話をした
 出典  Funmee!!編集部
明治23年(1890年)に初めて電話交換事業が東京と横浜で開始された際採用された「ガワーベル電話機」。音が小さかったため、両耳に受話器を当てて話をした


ところが、電話機の歴史を勉強すると知らないことばかり。電話が東京と横浜で開通した明治23年(1890年)の電話料金は年額40円※(警察官の巡査の基本給が6円だった)で、いまで言うかけ放題だったことがわかった。

 

※『値段史年表 明治大正昭和 週刊朝日編』による

 

 

いくら調べてもわからないこともある。明治42年(1909年)に2号共電式壁掛電話機が出たのだが、2号があるなら1号もあったのではと推測した。



「2号共電式壁掛電話機」。かつて東京・大手町にあった逓信総合博物館(現在閉館)には旧型もあったが、稲谷さんはまだ入手できていないそう
 出典  Funmee!!編集部
「2号共電式壁掛電話機」。かつて東京・大手町にあった逓信総合博物館(現在閉館)には旧型もあったが、稲谷さんはまだ入手できていないそう


「メーカーカタログには旧型共電式壁掛電話機が載っていたのですが、電電公社の資料にはその記述が一切ありません。もう謎だらけ(苦笑)」

 

本当のことが知りたい一心で電話機の歴史研究に勤しみながら、蒐集にも情熱を傾けてきた。気が付くと、都内の自宅は電話機であふれかえっていた。その保管場所は屋根裏部屋。高温多湿の屋根裏部屋に置いたままでは電話機が劣化しかねない。



日本電気が昭和6年(1931年)に製造した教育用「オモチャ電話」。昭和恐慌の時代、電話機がほとんど売れなくなり、木とブリキで考案した。2台ひと組でそれぞれ電池を入れると、30m程離れても話せた
 出典  Funmee!!編集部
日本電気が昭和6年(1931年)に製造した教育用「オモチャ電話」。昭和恐慌の時代、電話機がほとんど売れなくなり、木とブリキで考案した。2台ひと組でそれぞれ電池を入れると、30m程離れても話せた


その保存方法を知りたくて、奈良大学通信教育部の文化財歴史学科で2年学んだ。「日本における電話機の変遷について」と題した卒論で、2012年に学芸員の資格を取得。博物館を作ろうかどうか悩んでいた時、卒論担当だった先生に相談したところ、「人生は一度、楽しく、うふふふふ」と書いたサインを貰った。

 

恩師に背中を押され、一念発起。大阪市内の実家の敷地内に、博物館を設立することにした。都内の自宅にあった電話機を大阪まですべて自分で運んだ。計15往復。大好きな森高千里を聴きながら運転した。



事務机に向かい合わせた2名が1台の電話を共有する「ボースホーン電話機」。引き寄せられず、扱いにくかったためか、受話器を置くフックの山を削って使用していた。昭和38年頃(1963年頃)に岩崎通信機が製造し、日東通信機が販売
 出典  Funmee!!編集部
事務机に向かい合わせた2名が1台の電話を共有する「ボースホーン電話機」。引き寄せられず、扱いにくかったためか、受話器を置くフックの山を削って使用していた。昭和38年頃(1963年頃)に岩崎通信機が製造し、日東通信機が販売


子どもの頃は電話嫌いだった。知らない人からかかってくる電話が怖かったからだ。ではなぜ苦手だった電話機を集めることにしたのか。

 

「甲虫類が好な少年でした。黒光りし、モコっとした黒電話が、標本箱のカブトムシやクワガタムシに似ていると思ったからかも(笑)」

 

てれふぉん博物館には、黒電話が標本箱のように並べられている。それを見ると、かつてこの国ではいろいろなモデルが使われていたことがひと目でわかる。技術の進歩に伴い、多種多様なデザインの電話機が開発され、集めていて実に面白いのだそうだ。



左)ガワーベル電話機を題材に絵師の豊原国周が描いた錦絵。明治29年(1896年)に印刷されたと記されている。右)共電式卓上電話機が描かれた引札(チラシ)のサンプル。左の余白に広告主の情報が刷られて配られた
 出典  Funmee!!編集部
左)ガワーベル電話機を題材に絵師の豊原国周が描いた錦絵。明治29年(1896年)に印刷されたと記されている。右)共電式卓上電話機が描かれた引札(チラシ)のサンプル。左の余白に広告主の情報が刷られて配られた
電電公社の備品も蒐集の対象。左)電電公社篠山電気通信管理所に配置された、電電公社のロゴが縫われた椅子。右)昭和38年(1963年)に納入された食堂の椅子
 出典  Funmee!!編集部
電電公社の備品も蒐集の対象。左)電電公社篠山電気通信管理所に配置された、電電公社のロゴが縫われた椅子。右)昭和38年(1963年)に納入された食堂の椅子


「残念ながら、近年固定電話は影が薄くなりつつあります。導入されてまだ130年にもならないのにもうわからないことがいろいろと出てきました」

 

電話事業の歴史に関する本でも電話機そのものについての記述が少ない。とくに旧い時代の電話機についてはわからないことが多いという。

 

「電話機の歴史まで消えてしまうのが残念でなりません。趣味で旧い電話機の蒐集を始めましたが、いまは半ば使命感で続けています」



戦後復興とその後の成長を示す東京の電話帳。左)昭和15年4月現在の電話帳(昭和15年(1940年)8月発行、1,260ページ)。中央)終戦から3カ月後の昭和20年11月現在(昭和21年(1946年)3月発行、168ページ)。右)昭和24年12月現在(昭和25年(1950年)発行、1,502ページ)
 出典  Funmee!!編集部
戦後復興とその後の成長を示す東京の電話帳。左)昭和15年4月現在の電話帳(昭和15年(1940年)8月発行、1,260ページ)。中央)終戦から3カ月後の昭和20年11月現在(昭和21年(1946年)3月発行、168ページ)。右)昭和24年12月現在(昭和25年(1950年)発行、1,502ページ)

超アンティーク風黒電話型置物です。

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■プロフィール

稲谷秀行さん

 

電話機コレクター、てれふぉん博物館 館長。電話機の意匠に惹かれ、24歳から蒐集を開始。集めた電話機の保存をきっかけに、奈良大学通信教育部 文化財歴史学科で学び、2012年に学芸員資格を取得。2013年にてれふぉん博物館を開館した。

 

 

てれふぉん博物館

所在地非公開(大阪市住吉区内、地下鉄御堂筋線あびこ駅から徒歩10分ほど)

開館日:不定期(月2,3回、午前・午後1組ずつ)

見学料:無料

見学可能日や、詳しいアクセスなどはメールで要問い合わせ。

telephone_museum@yahoo.co.jp

 

 

===

文:中島茂信(Shigenobu Nakajima)

写真:藤田修平(Shuhei Fujita)

 

 

■注記

本企画はライフスタイル誌「Lightning(ライトニング)」(枻(エイ)出版社)の連載「ポケットの中の博物館」の再掲載になります。



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2018年2月22日
Funmee!!編集部
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