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#22 広告は文化!! 琺瑯(ホーロー)看板の魅力に惚れ込んだ男
【ポケットの中の博物館】︎

#22 広告は文化!! 琺瑯(ホーロー)看板の魅力に惚れ込んだ男


なぜ人は蒐集するのか。その答えを求め、趣味を人生の中心に据えた人々のポケットの中を覗く連載「ポケットの中の博物館」。

 

琺瑯看板のレトロで美しいデザインに惚れ込んだ佐溝力さんがコレクションを始めてもうすぐ半世紀。物欲で漁り始めたはずが、琺瑯看板の歴史や文化を紐解いたらさまざまな事がわかってきた。

 

女よりも琺瑯看板を選んだ(?)男の、琺瑯看板で埋まったアジトをご覧あれ。



琺瑯看板の美しい意匠に魅了された

琺瑯看板研究所(左)とその隣の住居(右)はどこもかしこも琺瑯看板だらけ
 出典  Funmee!!編集部
琺瑯看板研究所(左)とその隣の住居(右)はどこもかしこも琺瑯看板だらけ


庭も外壁も玄関も琺瑯看板だらけ。琺瑯看板を立てかけた廊下に続く階段は、壁と天井が琺瑯看板で埋もれていた。2階の応接間は琺瑯看板で足の踏み場もない。


ひょっとするとこの家の住人は、琺瑯看板の上で食事をし、寝ているのではないか。そう思いたくなるほど愛知県豊川市にあるこの家は、琺瑯看板屋敷と化していた。



研究所の勝手口がある背面には、太田胃散の琺瑯看板が壁一面に貼られていた
 出典  Funmee!!編集部
研究所の勝手口がある背面には、太田胃散の琺瑯看板が壁一面に貼られていた


蒐集歴はほぼ半世紀。大阪万博(1970年)が終わった頃から集め始め、食品、家電、クルマ、薬など、琺瑯看板が最盛期だった時代に作られた、ありとあらゆるジャンルの看板を6,000枚コレクションしている。

 

「結婚はしていません。女がいないから琺瑯看板に走ったのか、琺瑯看板に惚れたから結婚しなかったのかよくわからんだに。だもんで琺瑯看板に人生をつぎ込むことができました」と佐溝力さんは破顔する。



琺瑯看板研究所所長・佐溝力さん。中は壁も天井も琺瑯看板で埋めつくされている
 出典  Funmee!!編集部
琺瑯看板研究所所長・佐溝力さん。中は壁も天井も琺瑯看板で埋めつくされている


子どもの頃から勉強が嫌いで劣等感があったが、蒐集癖だけは誰にも負けない自信があった。小学生が集めるようなものはすべて手を染めてきた。けれど、切手のような、金にものを言わせるお宝では金持ちには太刀打ちできない。人がやらないものを集めたほうが面白いに決っている。長年そう思ってきた。

 

25歳のとき、長距離トラックの運転手だった佐溝さんは旧道を走行中、琺瑯看板に目がとまった。懐かしいデザインやタイポグラフィに惹かれ、蒐集癖に火が付いた。家を壊す際、壁などに貼ってあった琺瑯看板も一緒に燃やされたり、廃棄処分されることを知った。「もったいない」という思いも強く、集めることにした。



駄菓子屋に貼ってあった不二家のペコちゃんとポコちゃんの琺瑯看板。「ミルキーよりもチョコレートの看板のほうが数が少なく、裏面にはペコちゃんが描かれています」と佐溝さん
 出典  Funmee!!編集部
駄菓子屋に貼ってあった不二家のペコちゃんとポコちゃんの琺瑯看板。「ミルキーよりもチョコレートの看板のほうが数が少なく、裏面にはペコちゃんが描かれています」と佐溝さん


休日地図を片手に地元愛知や静岡、長野、滋賀など、近県をこまめに回り、琺瑯看板を探した。その場で交渉し、入手できたものもあれば、「これは広告主のものだから」と断られたこともある。

 

「それでもまだ集めている人が少なかった時代だったので、手に入りやすかったです」



グリコのゴールインマークは時代とともに変化。左は1922年の創業時から1928年まで使われた初代で八頭身。右は1929年から1945年まで活躍した2代目と思われる。2代目は日本人体型に
 出典  Funmee!!編集部
グリコのゴールインマークは時代とともに変化。左は1922年の創業時から1928年まで使われた初代で八頭身。右は1929年から1945年まで活躍した2代目と思われる。2代目は日本人体型に

 

琺瑯看板研究所開設。出会いも増えていく

左の木製看板がのちに右の琺瑯看板へ変わっていった。太田胃散は1879年に創業者太田信義により販売が開始され、1920年に太田信義薬房として法人化。木製看板はその頃のもの
 出典  Funmee!!編集部
左の木製看板がのちに右の琺瑯看板へ変わっていった。太田胃散は1879年に創業者太田信義により販売が開始され、1920年に太田信義薬房として法人化。木製看板はその頃のもの


金属にガラス質の釉薬を高温で焼き付けたものが琺瑯看板だ。かつて看板といえば木製が主流だった。大正時代に入ると耐久性が高く、光沢がある琺瑯看板が普及していった。

 

佐溝さんによれば、かつて大半の会社が琺瑯看板を製作していたという。広告代理店を介さず、その製品の営業マンや看板メーカーが商店や一般住宅の壁に琺瑯看板を設置していた。街中の風景として定着した琺瑯看板だったが、テレビ、新聞、雑誌の普及にともない、大阪万博の頃から徐々に姿を消していった。



アース製薬のアース渦巻には、水戸黄門で人気を集めた由美かおる(20歳頃)のネグリジェ姿を採用。楕円形の他、四角形も制作された
 出典  Funmee!!編集部
アース製薬のアース渦巻には、水戸黄門で人気を集めた由美かおる(20歳頃)のネグリジェ姿を採用。楕円形の他、四角形も制作された


ちょうどその頃、佐溝さんは琺瑯看板と出会った。お宝の数が増えるにつれ、古書を読み、琺瑯看板の歴史や文化などを紐解くことにした。

 

「調べてみると琺瑯看板には、縁起を担いだロゴや文字が使われていることがわかりました。鉄は金を失うと書きますが、それでは商売に都合が悪い。鉄道会社など企業によっては、金に矢と書く看板もあります」

 

己の物欲を満たすための蒐集ではなく、広告や世相を伝える文化として琺瑯看板をとらえたいと長年考えていた。その夢を2008年に叶えた。看板や資料を展示する琺瑯看板研究所を設立したのだ。



金鳥蚊取り線香は1890年に「金鳥香」の名で棒状のものを発売。1902年に渦巻型へ変わった。美空ひばりのTVCMは1967年から放送され、琺瑯看板も製作された
 出典  Funmee!!編集部
金鳥蚊取り線香は1890年に「金鳥香」の名で棒状のものを発売。1902年に渦巻型へ変わった。美空ひばりのTVCMは1967年から放送され、琺瑯看板も製作された


研究所を開設したことで人との出会いも増えた。看板の広告主の末裔が研究所を訪問する機会も少なくない。ときに看板の広告主に招かれ、琺瑯看板研究所所長として講演することもある。

 

琺瑯看板といえば、松山容子のボンカレーを思い出す読者もいるかと思う。その琺瑯看板を持っているマニアもいるはずだが、佐溝さんは松山のサイン入りを秘蔵している。松山の元マネージャーの友人が研究所を訪問したことが縁で、松山のサインを貰ってくれた。



琺瑯看板といえば松山容子。大女優のサイン入りも秘蔵。大塚食品の営業マンが全国を飛び回り、この琺瑯看板を10万枚近く貼り付け、PRに努めたのだとか
 出典  Funmee!!編集部
琺瑯看板といえば松山容子。大女優のサイン入りも秘蔵。大塚食品の営業マンが全国を飛び回り、この琺瑯看板を10万枚近く貼り付け、PRに努めたのだとか


研究所には足袋の琺瑯看板もたくさんある。その一部が岡山県倉敷市の足袋メーカーのものだ。いまやジーンズの聖地となった倉敷だが、その昔は足袋の一大産地だった。足袋メーカーの中には足袋を織っていた工業用ミシンと厚物の縫製技術を転用し、学生服やジーンズのメーカーに業態転換した会社も多い。


元足袋メーカーの社員が研究所を訪れ、自社のルーツである足袋の琺瑯看板を発見し、感動した。



足袋メーカーの琺瑯看板も数多く所有する。丈夫で長持ちすることから一足千里をキャッチフレーズにしたゴム底の足袋も作られていた
 出典  Funmee!!編集部
足袋メーカーの琺瑯看板も数多く所有する。丈夫で長持ちすることから一足千里をキャッチフレーズにしたゴム底の足袋も作られていた


懐かしくて美しいデザインの琺瑯看板をコレクションするために身銭を切り、人生を賭けてきた。けれど、いま思えば人に喜んでもらうために蒐集してきたのではないか。最近そう思うようになってきた。

 

近年定期的に老人ホームでボランティアをしている。琺瑯看板を見てもらいながら、その時代の歴史や風俗を語ると誰もが笑顔になり、元気になってくれるのだそうだ。



オリエンタルでは1945年に発売した即席カレー、マースカレーを広めるため、さまざまなデザインの琺瑯看板を製作し、TVCMを放送した。名古屋育ちのコメディアン南利明を起用した
 出典  Funmee!!編集部
オリエンタルでは1945年に発売した即席カレー、マースカレーを広めるため、さまざまなデザインの琺瑯看板を製作し、TVCMを放送した。名古屋育ちのコメディアン南利明を起用した


「大勢の人に喜んでもらえることが自分の生きる糧になっていると思うし、長年集めてきた甲斐があるなあと思っているだに」

 

勉強嫌いだったはずが、資料や旧い文献を熟読し、人から教えてもらうことで琺瑯看板の蒐集家であり、研究家になった。

 

「独身で良かったかも(爆笑)」



昭和期の看板、ローカルな商品のロゴ、手書きの貼り紙、道路や壁の文字の痕跡……。

街を歩けばコンピュータのフォントにはない独特の手ざわりをもった文字たちがそこかしこに息づいている。

日本各地でみずから採取した、懐かしくも新しい路上の文字を厳選して多数紹介。

見て面白く、読んで楽しい文字コレクションです。


■プロフィール

佐溝 力さん

 

琺瑯看板研究所所長。「残しておかなければ失われてしまう」そんな使命感にも似た思いと、レトロで美しいデザインや、その光沢に惚れ込み、琺瑯看板の蒐集を始める。40年にわたって集めた数は2万枚を超える。

 

琺瑯看板研究所

愛知県豊川市大橋町3-39

TEL・FAX:0533-84-4403

開所時間:9:00〜16:00

TELかFAXで要予約

 

 

===

文:中島茂信(Shigenobu Nakajima)

写真:藤田修平(Shuhei Fujita)

 

 

■注記

本企画はライフスタイル誌「Lightning(ライトニング)」(枻(エイ)出版社)の連載「ポケットの中の博物館」の再掲載になります。



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2018年1月11日
Funmee!!編集部
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