
鉄道模型マニア全開の自宅がすごかった! 「つきぢ田村」三代目“裏の顔“〈前編〉
田村隆さんは、「つきぢ田村」の三代目であり、日本を代表する和食料理人のひとり。というのは表の顔で、実は中学生の頃から大の鉄道模型マニア! 趣味の世界で遊んでいるときは、素の「田村隆」に戻ってしまうそうです。
自身を“鉄道大臣”と呼ぶ田村さんに、ご自慢の鉄道模型を見せていただきました。
なんとレイアウトの場所は、壁面収納家具の中!

―― 鉄道模型のレイアウトは、テーブルなどの台の上に組む人が多いのですが、田村さんは違いますね。
20年ほど前、リビング(約20畳)の周囲に、5つ目となるHOゲージのレイアウトを自作しました。リビングをフローリングに改装する際、大工の棟梁にオリジナルの壁面収納家具を作ってもらうことにしたんですよ。
―― どんなレイアウトなのか、案内してください。
線路の長さは約40m。約5mの直線コースが1本、約4mの直線コースが2本、あちこちにトンネルを作りました。駅は、12両編成の列車が停車できるプラットホームがふたつと、小さな駅を設けてあります。

―― 線路は複線で、鉄道信号機も作動しているんですね。
納戸に設置したコントローラーで、列車や鉄道信号機を制御するシステムを構築しました。

―― コントローラーの下には、京都の梅小路蒸気機関車館にあるようなターンテーブルがあるんですね。
ターンテーブルは3〜4回直した苦心の作です。ターンテーブル脇ともう一カ所、別の場所にCCDカメラを設置しました。鉄道模型が走る音を聴きながら、走行シーンをテレビモニターで観られるようになっています。


一部区間は敷設叶わず、大工を“買収”して乗り切る
―― 一部の区間は、レイアウトが棚から外れて部屋を突っ切っていますね
一区間だけ、用地買収に失敗した場所があります。地域住民を代表する妻に反対され、台所前のスペースだけが鉄道敷設計画から外れてしまいました。

ーー リビングを一周するはずの線路敷設計画が、頓挫しそうになったと。
鉄道大臣としては大いに困りました。ところが、壁面収納家具を作ってもらう際、大工の棟梁を料理で買収してあったんです。その大工の棟梁の忖度で、線路を敷けなかった台所前に、鉄道を走らせるときだけ簡単にセットできる仕掛けを作ってくれました。

夜の営業後と朝の築地の間。徹夜で鉄道敷設工事を完工
―― 料理人としてもお忙しいなか、すべてご自身で作られたのですか?
鉄道大臣として、自らが秋葉原の電気街に何度も通い、配線やLEDライトなどを揃えました。毎朝8時前には築地へ買い出しに出かけ、夜の営業が終わった10時すぎに帰宅。深夜ひとりで黙々と鉄道敷設工事に精を出しました。
そんなある日、コーナーの壁を叩いたら、なんと空洞! 夜中、壁面に穴を開け、トンネルを貫通させました。

―― よく体が持ちましたね。
徹夜が続いたけど、愉しかったなあ。まだ30代で若かったし。これがそのとき自分で作った配線図です。雑な配線図だけど、ほとんど同じように仕上げました。

―― つきぢ田村の三代目が、鉄道模型のレイアウト作りに精を出していたとは誰も思わなかったでしょうね。
こまごまとしたものを作っているときが一番楽しいですよ。お店でもお座敷や外壁のペンキ塗りは自分でやりますよ。愉しい仕事を金を払って人にやらせるなんて、もったいない!

いきなり部屋中に模型を走らせるのはハードルが高い! まだまだ鉄道大臣には程遠い! そんな方におすすめなのが机の上鉄道です。まずは小さめのものから作って、基礎的なテクニックやレイアウトの引き出しを増やしてみてはいかがでしょうか。
■プロフィール
田村隆さん
日本屈指の料亭「つきぢ田村」三代目。昭和32年、「つきぢ田村」の長男として誕生。大阪の「高麗橋吉兆」で修業後、つきぢ田村へ。調理場で腕をふるう一方、NHKのテレビ番組や料理本の出版など、食の伝承にも力を注いでいる。平成22年、「現代の名工」厚生労働大臣賞受賞。
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文:中島茂信(Shigenobu Nakajima)
写真:井原淳一(Junichi Ihara)
