【ポケットの中の博物館】#28 明治、大正のステータスシンボル「商館時計」は、ただの懐中時計じゃない!?


なぜ人は蒐集するのか。彼らのポケットの中を覗くことで、趣味を人生の中心に据えるに至った価値観をつまびらかにしよう。

 

明治時代から大正時代、横浜や神戸に輸入された懐中時計を蒐集している人がいる。その懐中時計は商館と呼ばれる外国商社が扱っていたことから商館時計と呼ばれている。商館時計の蒐集家はその歴史や日本の文化、風俗も研究する学者肌のコレクターだった。

 

懐中時計のどこに惹かれ、どんなことを研究し、何がわかってきたのかを取材した。



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一つひとつきれいに並べられた懐中時計。時計は入手できたとしてもその時計が入っていた箱はつい捨ててしまうので、現存するものは極めて少ない

一つひとつきれいに並べられた懐中時計。時計は入手できたとしてもその時計が入っていた箱はつい捨ててしまうので、現存するものは極めて少ない

 出典  Funmee!!編集部


その部屋は懐中時計の間と化していた。キャビネットには明治、大正期に作られた懐中時計が大量に並べられ、ハイチェストの引き出しにはその修理に必要な文字盤やガラス、針などがそれぞれ分類されていた。

 

この部屋の主、大川展功(のぶよし)さんは懐中時計を半世紀に渡り蒐集してきた。しかもただ集めるだけでなく、その歴史を紐解き、日本の文化と風俗を考察することに歓びと生き甲斐を感じている研究家肌の蒐集家である。

 

「オメガの腕時計を愛用する人も多いと思いますが、オメガの懐中時計を明治期に輸入したのは、横浜の外国人居留地10番に開業したコロン商会という商館でした」



コロン商会が輸入したオメガの懐中時計(1897年頃製)。現代の時計同様リューズを引っ張り、時刻を合わせる機構を採用している

コロン商会が輸入したオメガの懐中時計(1897年頃製)。現代の時計同様リューズを引っ張り、時刻を合わせる機構を採用している

 出典  Funmee!!編集部


商館は現代の商社に相当する。幕末、横浜や神戸に設けられた外国人居留地に商館が次々と設立。日本製の絹織物などを海外へ輸出する一方、スイス製などの懐中時計を輸入していた。明治から大正にかけて超高級品から廉価品まで多種多様な時計を扱い、スイス時計を日本に普及させた代表的な商館のひとつがコロン商会である。

 

そのコロン商会が日本に引いたオメガの懐中時計(1897年頃製造)には、オメガのネームがない。厳密に言えば文字盤にはない。ルーペがないと見えないぐらい小さなトレードマークがテンプ受け(時計の心臓を支える部品)に刻まれている。オメガの名が影を潜め、その代わりにコロン商会の名が裏蓋に書かれていた。これはどういうことか。

 

「コロン商会がオメガに日本仕様に作らせたものを輸入していました。トレードマークに限らずシースルーもツバ(丸環の小さな突起)も日本人がもっとも気に入ったスタイル。当時の時計は商館が時計メーカーに日本人好みにアレンジさせたり、商館名やマークを入れていたことから商館時計と呼ばれています」



コロン商会が輸入したオメガの懐中時計(1897年頃製)の内部。日本仕様のため、オメガのトレードマークが文字盤にはなく、テンプ受けに小さく刻まれていた

コロン商会が輸入したオメガの懐中時計(1897年頃製)の内部。日本仕様のため、オメガのトレードマークが文字盤にはなく、テンプ受けに小さく刻まれていた

 出典  Funmee!!編集部


丸環にツバが付けられたのは、当時まだ着物を着ていた日本人が懐中時計を組紐で帯に装着するのを好んでいたからだ。ゼンマイを巻き上げる際、紐がリューズに絡むのを防ぐため、ツバが付けられた。

 

海外では金属の裏蓋が基本だったが、オメガも含め商館時計の大半がシースルー。

 

「日本人好みのスタイルを最初に見出したのが、スイスの時計職人フランソワ・ペルゴ(ジラール・ペルゴを創業したコンスタン・ジラールの妻、マリー・ペルゴの弟)。ペルゴが見せた12個の見本中、シースルー時計に日本人が感動したことから、これが日本人にいちばん受けると判断し、本国に多く発注したようです」



修好条約締結後、いち早く入国したスイス人、フランソワ・ペルゴが日本人の好みを数々の見本時計で調査し、行き着いた鍵巻式懐中時計(1875年頃製)

修好条約締結後、いち早く入国したスイス人、フランソワ・ペルゴが日本人の好みを数々の見本時計で調査し、行き着いた鍵巻式懐中時計(1875年頃製)

 出典  Funmee!!編集部

裏蓋を金属からガラスに変更し、精妙な彫りを施した金色に輝くムーブメントが見える

裏蓋を金属からガラスに変更し、精妙な彫りを施した金色に輝くムーブメントが見える

 出典  Funmee!!編集部


商館時計と出会ったのは小学6年生のとき。祖母にプレゼントされたシースルー懐中時計の裏蓋にコロンの名があった。その意味こそわからなかったが、なぜ時計が動くのか興味を覚え、貰ったばかりの懐中時計を分解した。もちろん復元できるはずもなく、それがきっかけで深遠な世界に足を踏み入れてしまった。



現存する懐中時計をできるだけオリジナルに近い姿に復元するためには文字盤やガラス、針などありとあらゆる懐中時計のパーツは欠かせない。たとえば、文字盤は明治初期から大正時代に作られたものを大量に所有する

現存する懐中時計をできるだけオリジナルに近い姿に復元するためには文字盤やガラス、針などありとあらゆる懐中時計のパーツは欠かせない。たとえば、文字盤は明治初期から大正時代に作られたものを大量に所有する

 出典  Funmee!!編集部


やがてコロンが商館名だと知り、商館時計はもちろん、修理用のパーツや時計が入っていた化粧箱、ポスターも集めるようになった。不思議なもので、コレクションがある程度揃うとそれが呼び水となり、まるで磁石に吸い寄せられるように貴重な品々が集まってくる。

 

たとえば、世界にまたとない時計を2個秘蔵する。ひとつがファブルブラント商会(横浜居留地175番)が、総代理店だった時計店京屋組(東京)の水野伊和造社長に贈った懐中時計だ。裏蓋に京屋と水野の頭文字の刻印があり、美しい宝石を用いた、素晴らしい機械式時計である。



ファブルブラント商会が京屋組の水野伊和造社長に贈った逸品。特別に作られ、世界にひとつしかない傑作

ファブルブラント商会が京屋組の水野伊和造社長に贈った逸品。特別に作られ、世界にひとつしかない傑作

 出典  Funmee!!編集部

裏蓋には京屋と水野の頭文字の刻印とともに、ファブルブラントの盾にもたれかかる獅子が描かれている。同社は獅子や蝶、山羊によって時計のグレードを表し、この獅子が最高級品を示す商標だった

裏蓋には京屋と水野の頭文字の刻印とともに、ファブルブラントの盾にもたれかかる獅子が描かれている。同社は獅子や蝶、山羊によって時計のグレードを表し、この獅子が最高級品を示す商標だった

 出典  Funmee!!編集部

化粧箱にもファブルブラントの盾にもたれかかる獅子が描かれている

化粧箱にもファブルブラントの盾にもたれかかる獅子が描かれている

 出典  Funmee!!編集部


もうひとつが、コロン商会が大阪の時寶堂安田時計店の安田源三郎社長に贈ったもので、やはり社長の名が刻まれている。

 

「現代のクォーツのステップ秒針のようなコチコチと力強い音を聴かせてくれる、クロノメーター脱進機の最高級品です。時計を修理した際、マスターメーター(時間合わせ)として使っていたに違いありません」



コロン商会が大阪の時寶堂安田時計店の安田源三郎社長に贈った、クロノメーター脱進機の一級品

コロン商会が大阪の時寶堂安田時計店の安田源三郎社長に贈った、クロノメーター脱進機の一級品

 出典  Funmee!!編集部


商館時計の研究に不可欠な資料がある。幕末から戦前まで横浜や神戸、香港などの開港場で発行された『ジャパン・ディレクトリー』(在日外国商館名簿)の復刻版だ。横浜や神戸のどこになんという商館があり、どんなものを扱っていたかが記載されている。それを見ると横浜と神戸にそれぞれ商館が約270館と約170館あったという。



大川さんの座右の書『ジャパン・ディレクトリー幕末・明治在日外国人・機関名簿』(全23巻)。幕末から昭和戦前期にかけて横浜や神戸、香港などの開港場で発行された『ジャパン・ディレクトリー』の復刻版

大川さんの座右の書『ジャパン・ディレクトリー幕末・明治在日外国人・機関名簿』(全23巻)。幕末から昭和戦前期にかけて横浜や神戸、香港などの開港場で発行された『ジャパン・ディレクトリー』の復刻版

 出典  Funmee!!編集部


大川さんの座右の書『ジャパン・ディレクトリー幕末・明治在日外国人・機関名簿』(全23巻)。幕末から昭和戦前期にかけて横浜や神戸、香港などの開港場で発行された『ジャパン・ディレクトリー』の復刻版

 

商館は経済活動を続けるだけでなく、西洋の新しい文化を紹介したり、道路や電気などのインフラ整備も行なっていた。なかには学校を設立し、西洋の学問を普及させた商館もある。関東大震災後撤退、衰退した商館も多いが、商館が今日の日本の文化と文明の礎を作った。

 

「商館時計を蒐集し、その歴史を研究するなかで、商館が今日の日本の時計ブームに及ぼした影響もわかってきました」



『ジャパン・ディレクトリー幕末・明治在日外国人・機関名簿』にはどこに何という商館があり、どんなものを扱っていたのかが記載されている

『ジャパン・ディレクトリー幕末・明治在日外国人・機関名簿』にはどこに何という商館があり、どんなものを扱っていたのかが記載されている

 出典  Funmee!!編集部


ひとつが今日の日本時計産業のルーツが商館時計にあること。また商館が日本人好みの懐中時計をスイスなどにオーダーした影響で、シースルーの裏蓋も日本で定番になった。もうひとつは、商館時計を扱っていた京屋や時寶堂安田時計店のような時計店が、現代の時計ブームの礎を作ったと大川さんは見ている。



「コレクションとしての面白みに欠けぬよう、できるだけオリジナルに近い姿に復元したい」と話す大川さん

「コレクションとしての面白みに欠けぬよう、できるだけオリジナルに近い姿に復元したい」と話す大川さん

 出典  Funmee!!編集部

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■プロフィール

大川展功(おおかわ のぶよし)さん

 

懐中時計コレクター/研究家。商館時計を蒐集し、その歴史を研究するだけでなく、別室に設えた部屋で時計の修理にも勤しんでいる。

 

 

===

文:中島茂信(Shigenobu Nakajima)

写真:藤田修平(Shuhei Fujita)



■注記

本企画はライフスタイル誌「Lightning(ライトニング)」(枻(エイ)出版社)の連載「ポケットの中の博物館」の再掲載になります。



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Funmee!!編集部

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