
寄り道、遠回りで絶景へたどり着く。自然風景写真家・西岡潔さん
水中の激流とは裏腹に川面をたゆたう水のせせらぎ、木漏れ日が風でゆれながら地上へとたどりつくようす、にわかに頬を通り過ぎていくような風の感覚。
写真家・西岡潔さんが切り取る風景は、まるでシャッターを切る瞬間に自分もそこにいたかのような錯覚を感じる臨場感が印象的。“誰も見たことがない景色”にこだわり、道なき道を進む西岡さんに、その原動力や楽しさを聞きました。
ファッションデザイナーから写真家へ。きっかけは旅の記録写真

―― 普段は雑誌などでもご活躍ですが、風景写真を作品として撮り出されたのは、何がきっかけだったんですか?
もともと自然の風景には興味がありましたが、学生時代は写真ではなく、ファッションデザインの勉強をしていたんです。そのうち洋服の根本的な部分を見てみたくなって、ヨーロッパを訪ねました。二十歳の時です。あちらの建物や彫刻、生活を目の当たりにして、すべて洋服と直結した流れがあるのを感じました。日本の木造の家や村、街、平面をベースにしたアジア圏の服とはまったく違ったんです。

―― 確かに、着物をはじめアジアの服は平面から作られていますね。
それで日本人である自分の文脈として、もっと人間の根源的な部分からデザインを生み出したいと考えて、自然と共に生きるオーストラリアやアジア圏の少数民族が住む場所をそれぞれ一年かけて巡りました。その間に記録として、目に止まったものを写真に残していたんです。


―― 少数民族が住む場所、ということは観光地とはまた違った風景に出会えそうですね。特に印象的だった風景は?
そう聞かれると悩む……それくらいどこも印象深かったです。現地の村から村へ移動するバスから見える風景がさらによくて。高床式住居があって、その前にいる子どもがバスに手を振っていて、その横で羊をさばいていたり。日常の生活を垣間見て、「本当にこんな世界があるんだな」と新鮮な驚きにあふれていました。
―― そんな風景を撮影されていたんですね。その旅がきっかけでファッションから写真に転向されたんですか?
帰国してからアウトドアショップの店員をしつつ、自分のブランドのファッションショーなど開催していたのですが、やりたいのはファッションではないのかなと感じはじめていました。
そんな時、旅の記録写真を発表してみないかと声をかけていただいて、写真展を開いたんです。そうしたら見に来てくれた人たちが思っている以上に反応してくれた。自分を表現する手段として、ファッションより写真の方が向いているのかも知れない、と思いました。
一見何もないような風景も、視点を変えると価値が生まれる!

―― 西岡さんが撮影されるのは、あまり知られていない場所の風景写真が中心ですね。
ガイドブックで紹介されているような観光地も、もちろん興味があって足を運びます。でも、実はそこにたどり着くまでの途中の景色の中に、見たことがないものがたくさんあるんですよ。さっきお話した高床式住居の風景も、移動中のバスから見えました。現地では何でもない光景なんでしょうが、実際廃れつつある生活様式で、貴重なものを見たんですよね。
―― 現地では日常的な光景だから、そこに何か価値があるのかも知れない、とさえ思わないでしょうね。
だから、一見価値がないようなことでも、視点を変えると意味が出てくる、価値があるように思える。そこが面白いなと思って。みんなが目指す目的地の“途中の風景”に、僕はそんな面白さがあると思っています。
“自分が知らないこと”に出会ってみたい
―― 普通なら山頂やゴールを目指して進むものですが、西岡さんはそうではないんですね。
山登りしても、ほとんど山頂にたどり着きません(笑)。むしろ、あえて遠回りしたり「気になる」と思った方向へ進んだり。なので、けもの道に入り込んで迷うこともあります。
―― 危ない目にあったことはないんですか?
山で迷うとやっぱり焦ります。そういうときに限って、歩いていると突然目の前に動物の骨が現れたりして、さらに焦ります(笑)。
―― それでも道なき道を進んでしまうのはなぜでしょうか?
僕が撮影するところは、人の暮らしと自然の境界線のようなところ。人知れずそこに存在しているものや光景です。もともと誰も知らないんだから、それでいいと言えばそうなんですが、僕が心動かされた光景が人知れずなくなってしまうということが単純にさみしいんだと思います。

―― さみしさ、ですか?
上手く言えませんが、自分にとって大切なものを残したいという想いです。みんなが気付いたからこそ残るものってあるので、僕はそれを“寄り道”してみつける。地図やガイドブックに載っていない、知らないことに出会いたいし、自分だけの発見をしたいんです。
