天下人を育てた浜松城(歴史編)
マニア
【空から城を見てみる!】︎

天下人を育てた浜松城(歴史編)


そそり立つ石垣、秀麗な天守閣、建造にいたるまでの壮大なドラマ……。その地に立ち、見上げるだけでも興奮する城の姿を、現代の技術を駆使して“空から”見下ろしたい! 武将も味わえなかったワクワク体験を、恐れ多くも始めます。


第1弾は、浜松城。あの徳川家康が長く本拠地とした天下人の城を、いざ、見下ろさん!



はるか天下取りへの足がかり「浜松城」


徳川家康が浜松城を築いたのは、1570年。三河(いまの愛知)を本拠地としていた家康ですが、駿河(いまの静岡)へ侵攻してきた武田信玄に備えるために浜松城を築き、本拠地を移しました。以来17年間に渡り、家康は浜松城に腰をすえます。この間に武田氏は滅び、本能寺の変で織田信長が倒れ、豊臣秀吉が天下を統一。まさに激動の時代を家康は浜松城から見つめ、辛抱強く天下取りへの力を蓄えていたのです。




 出典  Funmee!!編集部
浜松市街地に凛と立つ浜松城天守閣。彼方に見えるのが三方ケ原


浜松城にいるあいだ、家康は数々の合戦に直面します。なかでも浜松城から北に見える三方ケ原で行なわれた武田信玄との合戦は、家康の人生最大の危機とも言われる激戦でした。武田信玄は、浜松城を攻めると見せかけてすぐ側を素通りして挑発。そんな武田軍の様子を見た若き家康は、城から飛び出して追撃します。


しかし、相手は戦国最強と言われた武田軍。徳川軍は散々に蹴散らされて敗北しました。家康も家臣を身代わりにしてわずか数名で落ちのび、討ち死に寸前まで追いつめられたといいます。



命を救ったのは「空城の計」なり

 出典  Funmee!!編集部
家康の命を救ったと言われる天守門


命からがら浜松城に逃げ帰った家康は、守りを固めるかと思いきや、なんと城門をすべて開け放ちます。追撃してきたのは、武田四天王のひとり山県昌景。歴戦の猛者だけに、「何か策があるかも」と警戒して踏みとどまり、撤退したそうです。


「空城の計」と呼ばれるこの伝説的な作戦を家康が実際に行なったかについては諸説あります。しかし浜松城を舞台に家康が絶体絶命のピンチをなんとか乗り切ったことは史実。巨大な天守門を見ながら、そんな武将たちの駆け引きを想像するのもロマンがあります。




要職を次々輩出した「出世城」

 出典  Funmee!!編集部
天守閣越しに昇る朝日を望む


関ヶ原の戦いから江戸時代末期までは、徳川家とゆかりの濃い譜代大名が歴代城主となります。そのなかからは老中など江戸幕府の要職に就いた人物が数多くいたため、浜松城は「出世城」と言われるようになりました。


なかでも有名なのは、「天保の改革」を進めた水野忠邦。もとは長崎の唐津藩主でしたが、幕府での出世を狙って浜松への国替えを願い出ます。あの手この手をつくして願い通り浜松城主となった忠邦は、トントン拍子で出世し、見事に老中まで上り詰めて政治を動かしました。




市民が憩う浜松市の“セントラルパーク”へ

 出典  Funmee!!編集部
満開の桜越しの浜松城天守閣


明治維新後の廃城令により浜松城も取り壊されますが、1958年、市民の強い願いもあって新天守閣を再建。2017年のNHK大河ドラマで浜松ゆかりの井伊直虎が紹介されたこともあり、人気の観光スポットになっています。


城郭の跡地である浜松城公園は、通称「浜松市のセントラルパーク」。桜の季節には、ソメイヨシノはもちろん、山桜、大島桜、枝垂れ桜などさまざまな種類の桜、約340本が咲き乱れます。天下泰平を目指した家康が夢見たような、市民の笑顔あふれる憩いの場となっているのです。




ディテール編へつづく



武田信玄に攻められ、激戦を繰り広げた浜松城と三方ケ原。発掘調査をもとにした浜松城の城づくりの変遷や、三方ヶ原合戦の歴史的評価をまとめた一冊です。


■プロフィール

浜松城

静岡県浜松市中区元城町100-2

TEL:053-453-3872

入場料:200円(天守閣・天守門共通)中学生以下は無料

受付時間:8:30〜16:30(天守閣・天守門共通入場は閉館の10分前まで)

休み:12月29日~31日

 

 

■注記

関係各所への許可をとり、撮影しています。



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文:依田賢吾(Kengo Yoda)

撮影:山本大介(Daisuke Yamamoto)

撮影協力:ピークス 映像部



マニア
2018年5月1日
Funmee!!編集部
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